はじめてのポストクラシカル。静けさの中で、少しずつ動きはじめる音楽を。
ピアノの音がひとつ鳴る。
その余韻が消える前に、弦の音が重なってくる。
静かなままなのに、気づけば景色が少しずつ変わっている。
ポストクラシカルを聴いていると、そんな時間に出会うことがあります。
僕にとってポストクラシカルは、クラシックを新しくした音楽というより、昔からある楽器や響きを使いながら、今の時間を描いている音楽です。
この記事の道しるべ
ポストクラシカルって、どんな音楽だろう
「ポストクラシカル」という言葉には、きれいな境界線があるわけではありません。
ピアノや弦楽器などクラシックの響きを土台にしながら、アンビエントやエレクトロニカ、ミニマル・ミュージックなど、現代のさまざまな感覚と自然に交わっている音楽。ここでは、そんな少し広い意味でこの言葉を使っています。
2019年に最初の記事を書いたとき、僕はポストクラシカルを「現代人が作る現代人のための新時代のクラシック音楽」だと感じていました。
今読み返すと、少し大きな言い方です。でも、そのとき感じていたことは今もあまり変わっていません。
長い歴史を持つ楽器の音が、電子音や残響、録音された空間の気配と混ざりながら、今を生きる僕たちの時間に置かれている。その距離の近さに、僕は惹かれているのだと思います。
まずは、一曲聴いてみる
A Winged Victory for the Sullen|A Symphony Pathetique
ポストクラシカルという言葉を説明するより、まず一曲聴いてみるほうが早いかもしれません。
A Winged Victory for the Sullenの「A Symphony Pathetique」。ピアノや弦の響きと、アンビエントにも通じる長い余韻が重なり、静かなところから音楽がゆっくりと動き出します。
大きな音でこちらを振り向かせるのではなく、聴いているうちに、自分のほうから音の中へ近づいていく。
ポストクラシカルには、そんな音楽がたくさんあります。
僕が好きな、ポストクラシカルの5枚
Max Richter|The Blue Notebooks
ピアノと弦の美しさの奥に、少し影がある。Max Richterの音楽を聴くと、その影まで含めて音楽なのだと感じます。
「On the Nature of Daylight」のように、ゆっくりと反復しながら感情の輪郭が浮かんでくる曲もあります。何かを説明されているわけではないのに、自分の中にあった記憶が静かに動き出すような一枚です。
Jóhann Jóhannsson|Orphée
弦楽器、声、電子音。いくつもの響きが重なりながら、音楽全体がひとつの風景になっていくような作品です。
ドラマティックなのに、感情を押しつけてこない。その少し離れた距離感が好きです。
Ólafur Arnalds|Island Songs
場所と人と音楽が、ひとつにつながっているように感じる作品。
美しいメロディだけを追うのではなく、その音が鳴っている場所まで一緒に聴いているような感覚があります。relakatsuで大切にしている「音楽と、そのまわりにある時間」にも近い一枚です。
Ludovico Einaudi|I Giorni
とてもシンプルなピアノの反復が、ゆっくりと時間の流れを変えていきます。
電子音がなくても、ポストクラシカルと呼ばれる音楽の広がりを感じさせてくれる作品。難しく考えず、まずピアノの音に身を預けてみたいときに。
Nils Frahm|Felt
2011年に発表された『Felt』では、ピアノの音だけでなく、演奏する人の呼吸や楽器の機構、床のきしみのような小さな音まで録音の中に残されています。
昔の記事で僕は、この作品を「静寂を切り取ったようなアンビエント的な作品」と書いていました。
今も、その感じ方は変わりません。
音楽の外側にあるはずの音まで、いつの間にか音楽になっている。静かな夜に、一人でじっくり聴きたい一枚です。
どんな時間に聴くだろう
以前の記事では、ポストクラシカルを「リラックスするための音楽」として強く紹介していました。
今は、もう少し自由に聴いていいと思っています。
夜、一日の速度を少し落としたいとき。朝、まだ言葉をたくさん入れたくないとき。本を読む横で。雨の日の窓辺で。あるいは、何もせずに一枚のアルバムと向き合うために。
リラックスしなくてもいいし、頭を空っぽにしなくてもいい。
音楽によって、少し心が揺れる日があってもいい。
その日の自分と同じ場所に、音楽をひとつ置いてみる。それくらいの距離でいいのだと思います。
アンビエントとECMのあいだで
ポストクラシカルを聴いていると、アンビエントやECMの音楽を思い出すことがあります。
ジャンルが同じだからではありません。
音を詰め込みすぎず、鳴っていない時間まで音楽の一部にすること。余韻や空間を残し、聴く人がその中に入れる場所をつくること。
アンビエントでは、音楽と場所の境目が曖昧になる。
ECMでは、音と音のあいだに耳を澄ます。
そしてポストクラシカルでは、静けさの中から、音楽が少しずつ形を持ちはじめる。
僕には、この三つの音楽がどこかでつながって聴こえます。
静けさの中で、音楽が少しずつ動きはじめる
最初は、ピアノが一音だけだったかもしれない。
そこに弦が重なり、遠くで電子音が鳴り、気づけば小さな景色ができている。
でも、すべてを語り切るわけではない。
聴く人が入っていける余白が、ちゃんと残っている。
静けさの中で、音楽が少しずつ動きはじめる。
そんな時間がほしい日に、ポストクラシカルを一枚置いてみてください。